旧日本海軍 正規・補助空母・艦船


艦船から飛行機を発艦させる事を考えたのは、航空先進国の仏・英・米でした。
しかし、飛行機を着艦(着水)させる専門の艦船を考えたのは、なんと日本人なのです。
日本海軍は1913年(大正2年)、貨物船『若宮』を水上機母艦とし、水上機3機を搭載。
しかし、直接着艦させるわけではなく、付近に着水させてデリックで吊上げる方法でした。
(当時、航空・軍艦とも先進国とは言えませんでしたが、急速に追随していた時期です)
同年12月、英国でも石炭運搬船として建造中の艦船を買って、水上機母艦に改造しています。
『若宮』(5180t)より大きい
『アーク・ロイヤル』(7020t)は搭載機10機。
一方、米国も1920年に石炭運搬船を改造して2年後『ラングレー』として竣工しています。

その前後、設計段階から空母を開発推進していた英国は、1918年小型空母『ハーミーズ』を起工。
しかし、着艦で試行錯誤を繰り返していた事などから、完成は6年後の1924年2月にずれ込みました。
水上機母艦では4ヶ月早かった日本も、1919年12月に小型空母『鳳翔』を起工します。
『ハーミーズ』が6年もかけている間に、『鳳翔』は追着き、追い越して半分の月日で完成。
『若宮』以降、改造空母など竣工せず、いきなり全通甲板を設計して完成させています。
世界最初の空母は?との問いには、竣工は日本『鳳翔』。起工はイギリス『ハーミーズ』となります。

旧日本海軍艦艇命名法

詳しい事まで調べておりませんが、現在知っている情報のみ掲載しました。
航空母艦『赤城』『加賀』は、重巡(戦艦)として建艦中(後)に改造されたので当て嵌まりません。
その他にも在るのでしょうが、調べて居りません。(情報あれば、御教え下さい)

 一等駆逐艦  天候、気象、季節、月名など  雪風、陽炎、夕暮、高波など
 二等駆逐艦  植物  (樅型)、(若竹型)
 重巡洋艦  山、山岳名  妙高、那智、足柄など
 軽巡洋艦  川、河川名  長柄、鬼怒、阿武隈など
 練習巡洋艦  神社の名前  香取、鹿島、香椎など
 戦艦  旧国名(県名)  大和、武蔵、長門、伊勢など
 航空母艦  飛行する動物に関する漢語。  瑞鶴、翔鶴、龍驤、蒼龍、飛龍など、(赤城、加賀は戦艦から改装)

 昭和11年12月末をもって、列強海軍を拘束していた軍縮条約が失効することを見越して、この年の6月に第3期建艦計画の大綱を立案します。この建艦計画で空母『翔鶴』『瑞鶴』をはじめ、戦艦『大和』『武蔵』など艦艇70隻(総計32万t)を、昭和12年から16年までに建造しようという大規模なものでした。空母翔鶴型とは、『蒼龍』『飛龍』の大成功により、艦形を飛龍拡大改良型の大型空母として設計開発されたのです。『翔鶴』は、太平洋戦争勃発直前の1941年8月8日に竣工。翔鶴型姉妹艦『瑞鶴』は9月25日に竣工しています。開戦時には正規空母8隻に加え、軽空母『瑞鳳』『大鷹』を完成させて米国より優位にたっていました。昭和17年5月の珊瑚海海戦では史上初の空母対空母戦に辛勝しますが、昭和19年6月のマリアナ沖海戦で航空機の援護無く、空しく没します。

ニチモ 走らせて楽しむ30cmシリーズNo14 定価 800円
搭載機 (戦)零式艦戦 常用18機・補用2機、(爆)九九式艦  爆 常用27機・補用5機、(攻)九七式艦攻 常用27機・補用5機、合計84機
高角砲九八式40口径12.7cm連装高角砲8基16門
  射撃装置4基、弾丸1門あて250発、合計4000発
機銃 九六式25ミリ3連装機銃12基36門
  射撃装置 6基(片舷3基)
  弾丸 1門あて2600発、合計93600発

基準排水量 25675t、水線長 250m、最大幅 26m、速力 34.2n
 30cmシリーズですから大きくないので、艦載機なども翼幅2cm程度でした。艦船模型テクニックブック(No.545)を参考に製作しましたが、丁度いい具合に翔鶴が載っていました。しかし、本は700スケールのタミヤ製の為か、部品点数とか細部は随分違っています。値段も定価800円と安い分、部品が少なくてデティールの再現に精密さは望めません。
 本当に好きな人なら、こんな安くて動くモデルは敬遠するのでしょうが、値段以上に愉しく製作出来ました。
 海軍が昭和9年から密かに研究していた超戦艦『大和』型は、無条約時代となった12年から隠密裡に建造を開始しています。当初、『大和』型戦艦は4隻が予定されていましたが、1番艦『大和』2番艦『武蔵』は完成しますが、戦局の推移から3番艦『信濃』は70パーセントで中止。4番艦『紀伊』は解体されました。こうした状況の中、ミッドウェー海戦で主力空母を4隻も一挙に失った日本海軍は、『信濃』を空母に改造する事を計画します。しかし、ベースが戦艦であるため、格納庫は自衛用直衛機のみとし、飛行甲板は甲鉄防御を施した最前線飛行基地としての利用を考えていました。しかし、用兵者側の航空本部などから横槍が入り、搭載機を増やす案も付け加えられています。完成予定は昭和20年初頭でしたが、戦況は日に日に日本軍に不利となり、予定を繰り上げて19年11月19日に竣工しています。しかし、最後の儀装を施す為、横須賀を出航した29日午前3時過ぎに魚雷4発を受け、あっけなく沈没しています。
搭載機 (戦)戦闘機18機、(攻)攻撃機18機、偵察機6機、補用機5機の合計47機でした。
高角砲 12.7cm連装高角砲8基16門
機銃 25mm3連装機銃35基105門、同単装機銃35基35門、合計140門
ロケット砲 12cm多連装ロケット砲装備
基準排水量 62t、水線長 256m、最大幅 38.3m、速力 27n
 幻の空母『信濃』。搭載機には紫電改をはじめ、新鋭機の雷撃兼爆撃機『流星』・高速偵察機『彩雲』・2000馬力の戦闘機『烈風』などが予定されていました。わずか4発の魚雷で沈没したのは諸説在りますが、完成を急いだ為に気密試験の省略が大きい原因ではないかと書かれています。『大和』『武蔵』は沈没まで数十発の魚雷、爆弾にも耐えていたのに・・・。

『翔鶴』は、久しぶりの艦船製作でしたが、空母は初めての製作になると思います。
昔は空母など、攻撃兵器が何も無いのでカッコ悪いと感じていました。

このプラモデルもモーター付で、写真Aで甲板に突き出ているのがスイッチです。
浸水防止のグリスボックスも在り、説明書によるとマーガリンでも良いと書かれています。


航空戦艦

正規空母『翔鶴』と同じく、ニチモ 30cmシリーズの航空戦艦『伊勢』を製作しました。

 扶桑型の3・4番艦として誕生したのが、『伊勢』と『日向』の2艦です。従来と違う点は、3・4番主砲を背負い式にしているので、砲戦の指揮がとりやすく、さらに、1・2番煙突の間にボートデッキを確保する事ができた点でしょうか。改扶桑型といえる伊勢型2艦の起工は大正4年(1915)で、『伊勢』が大正6年12月、『日向』は翌7年4月に完成しています。何度か大改装を加えたのち、ミッドウェー海戦での4空母喪失による航空戦力の低下を補うため、昭和18年8月、後部5・6番砲塔を撤去して飛行甲板を設けた航空戦艦として生まれ変わりました。自艦への着艦は不可能のため、発艦はカタパルトで射出して、同時に作戦行動をしている空母、及び陸上基地に着艦させる計画でした。しかし、正規空母でさえ、載せる艦載機も搭乗員も不足している状況により、本来の性能を発揮させる場面は在りませんでした。『捷一号作戦』沖縄水上特攻支援の小沢『囮』空母艦隊護衛として出撃しますが、激しい攻撃をかわし、無事帰投しています。
航空戦艦 『伊勢』
基準排水量 35350t、 吃水線長 213.36m
機関出力 80000馬力、 速力 25.3ノット
航続距離 16n/9449カイリ、 燃料満載 4249t
計画乗組員 1385人

備砲 主砲35.6cm/45Ux6、12.7cm/40高Ux4
搭載機 艦爆及び、水偵x22
射出機 1式2号射出機x2基
70m甲板上に11機、射出機に2機、甲板下格納庫に9機


ニチモ 走らせてたのしむ30cmシリーズ No.8 定価 800円
 カラーの写真が無くて、他の艦船を参考に彩色していますので、色は違うかも・・・。昭和18年8月以降、航空戦艦改装後の『伊勢』の雄姿です。
 こうして製作してみると、小さいながらも迫力・構造・造形美が確かめられ、艦船模型ファンが多いのが頷けます。艦船関連本は飛行機(特に艦載機)が好きだった事から、空母など資料として購入していました。旧海軍飛行機をメインに、1990年頃からプラモデル製作復帰活動(?)をしていましたが、復帰原因はテレビゲームのシュミレーションで航空機・艦船の性能・形状が気になった事からだと記憶しています。プラモデルを作る事で、よりリアルに感情移入ができて、そのうちゲームはPCフライトシュミレーションへと移り、現在はプラモデルがメインとなっています。

艦船としては安いモデルばかりですが、結構楽しめました。
あまり、増やすつもりは無いのですが、気分転換に挑戦しています。