南部太平洋方面攻略・インド洋作戦
(南進日本軍部隊快進撃)


この文章は主に、光人社NF文庫『写真太平洋戦争・第2巻』を参考にしています。
他にも比較検討に、世界文化社『連合艦隊下巻・激闘編』と、
学研・太平洋戦史シリーズ14『空母機動部隊』も参考に編集しました。


 開戦劈頭に真珠湾攻撃を成功させた連合艦隊司令部は、続く南方攻略作戦のグアム島攻略までは比較的順調に進展しましたが、ウェーキー島攻略では予想外の苦戦を強いられています。ウェーキー島とは、日本軍にも米軍にも作戦線上に伸びるグアムに次ぐ重要拠点で、日本軍には東南タラワ方面ルートの東京硫黄島南鳥島ウェーキークェゼリンミレを結ぶ作戦線であり、対する米軍にも、サンフランシスコハワイウェーキーグアムフィリッピンを結ぶ東西要路上の一大拠点でした。

 ウェーキー島攻略作戦を担当したのは、司令長官 井上成美中将の第4艦隊攻略部隊・第6水雷戦隊 司令官 梶岡定道少将率いる、旗艦『夕張』、『追風』『疾風』『睦月』『如月』『彌生』『望月』、哨戒艇『金龍丸』『金剛丸』、援護部隊として第18戦隊『天龍』『龍田』、第7潜水戦隊『呂65』『呂66』『呂67』が参加していました。先のグアム島攻略で参加していた陸軍部隊は参加していません。

 攻略作戦は、真珠湾攻撃と時を同じくしてルオット基地を発進した千歳空の陸攻34機による空爆で開始され、ウェーキー島地上施設、所在の米軍機に多大の損害を与えています。攻略部隊、援護部隊も開戦と同時に委任統治領クェゼリン泊地を出撃し、12月10日夜半に上陸命令を発令しましたが沿岸はうねりが高く、陸戦隊の乗船は困難をきわめました。そこで、上陸予定時刻を延期することとし、艦砲射撃で敵陣地を制圧して昼間上陸に作戦を変更しました。

 明くる11日、未明2時15分に陸上砲撃を開始。しかし、4時には沈黙を守っていたウェーキー島沿岸砲台の猛烈な反撃が開始され、加えて生き残っていた米軍機の飛来する事態となります。最初の被害は敵軍の反撃直後、駆逐艦『疾風』の艦尾に敵弾が命中し、感度敏感な八八式火薬に引火爆発、さらに砲弾、魚雷などに引火して全艦火の海となって爆沈。

 陸上からの砲撃、上空からの敵機の攻撃はいっそう激しさを増し、ついに4時11分、攻略部隊指揮官は反転避退を命令しました。煙幕を展開しながら避退を開始しますが、5時37分、対陸上攻撃の側方観測をしていた駆逐艦『如月』が爆撃され、5時42分に沈没します。『疾風』『如月』沈没の他にも、輸送船『金剛丸』、第33号哨戒艇、駆逐艦『追風』などが銃撃による損傷をうけ、攻略作戦は完全な失敗に終わってしまいました。


 ウェーキー島攻略作戦の失敗は、日本海軍首脳部に大きなショックを与えますが、海軍の面目にかけて第二次攻略作戦が発動されます。第一次攻略作戦の失敗は、事前の航空攻撃が不十分で、敵機、敵砲台が健在であったこと、予想外に波浪が高く大発の浮舟が困難であったことがあげられ、ただちに陸攻隊全力の航空攻撃が実施されるとともに、ハワイ攻撃帰途の第2航空戦隊『蒼龍』『飛龍』にも支援を命じました。また、上陸達成のため兵員輸送用舟艇の第32、33号哨戒艇は波浪大なる場合、最後の策として擱座、陸戦隊を揚陸させることが検討されています。

 第二次攻略作戦は12月21日早朝、2航戦、零式艦戦18機、艦爆29機、艦攻2機の航空攻撃に始まり、ルオット基地から千歳空の陸攻33機が反復爆撃を実行します。さらに徹底を期すよう2航戦により、艦戦6機、艦攻33機をもって二次空襲を行ないました。上陸支援を受けた攻略部隊は翌22日22時接岸の予定でしたが、当日も波浪が高く大発降ろしが困難を極め、23時55分には最後の策としていた哨戒艇の擱座上陸を決行。陸戦隊660名の果敢な突入により多くの犠牲を出しながらも、午前6時半に敵陣制圧に成功しました。

 この間、米軍側はウェーキー島救援の為に、『エンタープライズ』『レキシントン』『サラトガ』を基幹とする三個の機動部隊を派遣していましたが、ウェーキー島に到着する前に日本軍上陸の報が入り、目的を達する事なく途中から真珠湾に引き返していました。日本軍の上陸決行時に『サラトガ』が北東425マイルにまで接近しており、哨戒艇2隻擱座という決断が無ければ、敵の3空母機を交えた戦闘に敗退していた可能性も在りました。

 順序が前後しますが、グアム島攻略作戦では米軍陣地は重厚な防御施設と兵力を準備していると連合艦隊司令部では過大評価していました。というのも、米軍にとってハワイウェーキーグアムフィリッピンに通ずる戦略的価値の高い最重要拠点であり、それに加え海底電線の中継所として欠くことのできない位置にあったためです。

 ところが米側では、軍備の強化をすると日本を刺激する事となり、本国から遠いため補給も困難であるとの理由から、積極的な防御準備は行なっていませんでした。その事実を知らない連合艦隊司令部では、用心に用心を重ねた作戦を立案します。グアム島攻略は海軍兵力だけでは無理との判断から、陸軍の南海支隊との共同作戦としてあたることとし、次の編成を兵力部署しました。

★海軍グアム攻略部隊、敷設艦『津軽』、駆逐艦『夕月』『菊月』『卯月』『朧』、特設水上機母艦『聖川丸』、特設砲艦『昭徳丸』『勝泳丸』『弘玉丸』、特設駆逐艦6隻、特設掃海艇2隻、陸戦隊一個大隊(約400名)輸送船9隻。
★海軍グアム島攻略支援部隊、重巡洋艦『青葉』『衣笠』『加古』『古鷹』。
★陸軍グアム攻略部隊、南海支隊 第55歩兵団司令部、山砲兵第55連隊第1大隊基幹、歩兵第144連隊、陸軍総員4886名が参加する大部隊となりました。(後に、ガダルカナル奪還戦に投入され、壊滅)

 12月4日海軍のグアム島攻略部隊は、一部で抵抗はあったものの無血上陸を果たし、『米軍恐れるに足らず』との観を強くした日本軍は、上記のウェーキー島攻略で難渋する事になったのです。
 グアム島、ウェーキー島を終えた大本営海軍部は、続く南太平洋方面方面のニューブリテン島のラバウルまで進出する予定でした。ラバウルまででも戦線は延びきっているのに、ラバウルを保持するにはソロモン諸島全域をカバーできるガダルカナル島に飛行場建設を計画します。日米消耗戦となったガダルカナル争奪戦はここでは書きませんが、主要航空戦のD第二次ソロモン海戦E南太平洋海戦へと続きます。

 上の写真は、昭和17年3月23日、マレー半島とインドの中間洋上にあるアンダマン諸島ロス島に上陸する海軍陸戦隊員の写真です。同島は英軍の支配下にありましたが、在島の英軍は日本軍に無条件降伏をしています。この諸島攻略作戦もマレー半島攻略後の、第2弾作戦として計画されたものでした。

 日本軍は、開戦と同時に太平洋各所において上陸作戦を決行し、予想以上の進撃速度で占領地域を拡大していきました。太平洋の東では、ギルバート諸島のマキン島タラワ島(最上図・黒字で記載)が12月10日に無血占領。同地は、戦局の傾いた昭和18年11月19日に米軍による奇襲を受け、21日に上陸されますが23日まで孤軍奮闘して戦い抜き、米海兵隊に多大な損害を与えた事で、日本より米国民に広く知られています。
 上記写真は、ラバウル整備後に連絡のために飛来した横空所属の一式陸上攻撃機。エンジンがかかっている状態で、胴体中央日の丸の出入り口が2機共に開けられているのは、整備中だからでしょうか。進出後、間も無いのか機体は標準迷彩の目だった塗装剥がれも見られません。

 ウェーキー島を12月23日に占領した第4艦隊司令 井上長官は、明くる昭和17年1月5日、ビスマルク方面攻略予定日を1月23日とし、隷下の志摩清英少将指揮の第19戦隊に下命しました。主要作戦のラバウル攻略には、グアム島攻略で無傷であった陸軍の南海支隊を投入し、ニューアイルランド島北端カビエンには第18戦隊(軽巡2、他8隻)を充てています。ラバウル攻略は、主力にウェーキー攻略とほぼ同じ陣容で、支援部隊は第7潜水戦隊から『呂5』が参加、第24航空戦隊、そして第1航空艦隊から、『赤城』『加賀』『翔鶴』『瑞鶴』の強力な機動部隊が参加していました。

 井上長官の命令により、1月4日からトラック方面空襲部隊(千歳航空隊・横浜航空隊)がラバウル方面を攻撃しています。攻略部隊本体は1月14日午後1時30分、陸軍南海支隊の輸送船9隻を護衛してグアム島アプラ港を出港し、16日には援護部隊の第6戦隊と合同して南下を続けていました。

 一方、17日にトラック基地を出撃した第1機動部隊は、20日10時にはラバウルの北方約200マイルに達し、空母4隻から戦爆連合109機を発進させてラバウルを初空襲しています。この時には、迎撃に飛び上がった敵戦闘機を5機撃墜。翌、21日には『赤城』『加賀』の52機がカビエンを攻撃し、『翔鶴』『瑞鶴』の75機が東部ニューギニアのマダン、ラエ、サラモアを空襲、敵基地の飛行機をほとんと破壊しました。つづいて22日にも『赤城』『加賀』の46機が第2次ラバウル攻撃を行い、プラエド岬の海岸砲を破壊したほか重要施設を徹底的に攻撃しています。

 この航空攻撃により、ラバウル上陸予定日の23日午前0時半からの上陸では、敵の抵抗をほとんど受ける事無く順調に成功しています。一方、ニューアイルランド島カビエンに向かった第18戦隊主力の攻略部隊も、22日午後11時50分上陸を開始していますが、敵守備隊は21日の空襲により守備不能となった同島を放棄して南方に逃走してため、全く抵抗を受ける事無く無血上陸を果たしています。このように被害僅少でラバウル攻略は成功し、終戦まで南東方面の日本軍重要拠点となったのでした。
 上写真は昭和17年1月11日、セレベス島(現在はスラウエシ島)北端メナドにあるランゴアン飛行場に降下する横須賀第1特別陸戦隊一次降下員334名が、輸送機から降下している様子。(日本初の落下傘降下作戦)

 この飛行場は重要な小さい飛行場ですが、日本軍が事前偵察を行なったおりにマーチン双発爆撃機B−10型が在り、それを新型のコンソリデーテッドB−24リベレーターと見誤った事から基地の実力を過大評価していました。続くボルネオ島、スマトラ島、ジャワ島の資源地帯を確保するという基幹作戦の遂行に、敵飛行場は上陸輸送部隊にとって極めて危険な存在でした。降下後、トーチカと敵装甲車など妨害はあったものの、敵守備部隊の兵員も400名と同数程度であったので、軽装備ながら果敢な降下部隊の突撃に恐れをなした敵兵はトラックで逃亡。この戦闘による降下部隊は地上戦で20名の戦死者と32名の負傷者を出しています。翌、12日にも第二次降下部隊を投入しますが死傷者が多く、次期降下作戦は1ヶ月後のチモール島クーパン飛行場まで発令されませんでした。

 海上での戦闘も、開戦初頭に基地航空隊が活躍したマレー沖海戦、昭和17年2月27日のスラバヤ沖海戦、翌28日にはバタビア沖海戦と敵艦船をことごとく撃沈しています。これは、敵連合軍の部隊の連携の悪さにも助けられた部分が多くありますが、猛訓練による海軍部隊の実力も発揮されたのではないでしょうか。27日以来、連合国混成海軍部隊の主力は次々と失われ、3月1日にチラチャップも爆撃されるに及び、ついに合同海軍の編成解除を決定して各個に日本軍の包囲網からオーストラリアに逃げ延びています。
 左舷に傾き、インド洋セイロン島沖に沈みゆく英空母『ハーミス』。インド洋作戦は、陸軍のビルマ進攻作戦に協力する形で実施されたもので、インド洋方面に展開して陸戦に脅威を与えていた英東方艦隊を撃滅する事を主目的としていました。

 昭和17年3月26日、南雲中将率いる第1航空艦隊の空母5隻(加賀は修理中)は艦載機315機を搭載し、セレベス島スターリング湾を出撃しました。部隊は長躯インド洋を横断して4月5日、コロンボ南方200浬に進出し、第一次攻撃隊180機(艦戦36機、艦爆54機、艦攻90機)を発進させます。第一次攻撃隊がコロンボ港内の輸送船を攻撃後、帰途についていた午後1時5分に重巡『利根』の九四式水上偵察機より『敵巡洋艦らしきもの2隻発見』の報告が入ります。この報告にもとづき第二次攻撃準備を発令するとともに、『利根』『筑摩』の水上偵察機各1機を接触のために発進。

 午後2時49分、江草隆繁少佐を指揮官とした九九式艦爆隊(赤城17機、飛龍18機、蒼龍18機)の合計53機が次々と発艦。接触に向かった利根偵察機が、2時55分に敵を発見し、『敵巡洋艦はケント級なり、敵巡洋艦付近に敵を認めず』と打電してきました。艦爆隊が到着したのは3時54分で、敵艦は英巡洋艦『コンウォール』『ドーセットシャー』でした。艦爆隊は太陽を背に巧妙に接近して、4時38分から爆撃を開始しますがほとんど全弾命中させ、攻撃開始後13分で『ドーセットシャー』が撃沈。直ぐ後、18分後には、『コンウォール』も沈没しました。この時の艦爆隊平均命中率が88%という脅威的な数字が残されています。第一次攻撃隊があっさり沈めたため、第二次攻撃待機中であった『翔鶴』『瑞鶴』の艦爆隊の発進は取りやめとなりました。この日のコロンボ攻撃中に、敵艦載機『ソードフィッシュ』が現れた事と、敵巡洋艦などの行動から推測して、付近に敵空母が存在する可能性が高いと判断していました。

 4月9日、午前9時にトリンコマリ攻撃に発進した第一次攻撃隊(艦攻91機、制空隊の零戦41機)が敵艦船と地上施設を破壊したあと、索敵中の『榛名』艦載水上偵察機から『敵空母ハーミス、駆逐艦3隻見ゆ』と報告が入ります。待機中であった第二次攻撃隊(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機、瑞鶴14機、翔鶴18機)の九九艦爆85機と、零戦6機(蒼龍、飛龍、各3機)が発進し、午後1時30分に駆逐艦を伴った英空母『ハーミス』を発見。この時の平均命中率も高く、82パーセントと書かれていました。

 気象条件、指揮官の的確な指示、味方兵器の集中運用と色々な良い条件がありますが、一番の要因はこの当時、世界一高い技量を有した艦攻、艦爆搭乗員の活躍にあると思います。ですが、日本軍航空隊の訓練は、他国にみられない規律と積極的攻撃精神を養いましたが、多くの搭乗員を早く育てるシステムでは無かったのです。その事が、のちの戦局の推移に大きく影を落す事に、搭乗員自身も気が付いていませんでした。

 連戦連勝を続ける日本陸海軍に、9日後の4月18日、米軍の企図したドゥーリットル大佐率いる部隊の日本本土爆撃が決行されたのでした。この作戦は日本陸海軍司令部にとって、実際の被害以上の心理的衝撃を与えていました。

この章は、マレー沖海戦と珊瑚海海戦との間の作戦を補完するものです。

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